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レイク・シャンプレーン(USS Lake Champlain, CV/CVA/CVS-39)は、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦で、同級空母としては17番目に就役した。艦名は米英戦争におけるシャンプレイン湖の戦いに因む。その名を持つ艦としては二隻目。 == 艦歴 == レイク・シャンプレーンは1943年3月15日、バージニア州ポーツマスのノーフォーク海軍造船所で起工する。1944年11月2日、ウォレン・オースティン夫人(バーモント州選出上院議員ウォレン・オースティンの妻)によって命名、進水し、1945年6月3日、ローガン・C・ラムジー艦長の指揮下就役した。 艤装完了後ニューヨークとフィラデルフィアを訪れ、続いてマジック・カーペット作戦に従事する。バージニア州ノーフォークを10月14日に出港しイギリスに向かい、サザンプトンに19日到着する。復員兵を乗艦させた後にニューヨークへ帰還した。 1945年11月26日には大西洋横断記録を樹立する。アフリカのスパーテル岬を経由してバージニア州ハンプトン・ローズに4日と8時間51分で到着した。この記録は1952年の夏に客船ユナイテッド・ステーツに破られるまで世界最高記録であった。 レイク・シャンプレーンは1947年2月17日ノーフォークで予備役艦隊入りする。しかしながら朝鮮戦争が始まると海軍はレイク・シャンプレーンの再就役を決定する。レイク・シャンプレーンはバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船 & 乾ドック社でSCB-27A改装工事を実施してジェット戦闘機の運用を可能とする近代化を実現し、1952年9月19日、G・T・ムンドロフ艦長の指揮下再就役した。 11月25日から12月25日にかけてキューバ、ハイチ水域で整調訓練を行った後、レイク・シャンプレーンはフロリダ州メイポートを1953年4月26日出港、紅海、インド洋、東シナ海経由で朝鮮半島水域に向かう。レイク・シャンプレーンは当時のスエズ運河(その後拡張工事実施)を通過した最大の艦となった。その後1953年6月9日に横須賀に到着した。 レイク・シャンプレーンはニューイングランド水域での作戦活動のためクォンセット・ポイントに11月9日帰還する。1964年の春にバミューダを短期間訪れ、秋にはスペインのウエルバを訪れる。11月6日にバルセロナを出港しジブラルタル経由でクォンセット・ポイントに25日帰還する。1965年の前半は東海岸で訓練と演習指揮活動に従事する。最後の任務は8月5日にジェミニ5号の回収船に指定されたことであった。任務の終了後フィラデルフィアで不活性化され、1966年5月2日に退役した。 レイク・シャンプレーンは1969年12月1日に除籍され、1972年4月28日に防衛再利用マーケティングサービス(''Defense Reutilization and Marketing Service, DRMS'')によってスクラップとして売却された。 なお、SCB-27A改装工事を行ったエセックス級航空母艦は、そのあとアングルドデッキ取り付けなどのSCB-125改装工事を行ったが、レイク・シャンプレーンは工事を行わずに退役した唯一の艦となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レイク・シャンプレイン (空母)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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